地域で活躍する会社から学ぶ -好成績・好業績の秘訣- 第4回

株式会社 橋本店(宮城県)代表取締役社長 佐々木宏明氏
代表取締役社長 佐々木宏明氏

株式会社 橋本店(宮城県)

創業132年の歴史と変化
受け継いだ原点と変化への挑戦

好成績・好業績の秘訣シリーズも2社目となる第4回は、宮城県仙台市に本社を置き今年創業132年目を迎えた 株式会社橋本店の佐々木宏明社長に、長寿企業の歴史と経営方針について伺った。

創業132年 原点回帰による意識改革

─── 創業が明治11年とのことですが、御社の歴史について簡単にお話しいただけますか。

佐々木社長

私は9代目の社長になります。 これまで橋本店の歴史にも紆余曲折があり、経営が大変なときもあったと思います。 ただ、その中で一貫してやってきたことが、「モノをつくる前に人をつくる」ということです。

岐阜駅(当時)の様子 明治末期、岐阜駅の移転計画があったのですが、財政難で資金が集まらず駅を建てることができずにいました。 そこで橋本店の創業者・橋本忠次郎が、自分の地元の仙台の斎藤善右衛門に出資をもちかけ、 その資金によって駅舎を完成させることができたのです。 現在、その町は「橋本町」という名前で残っています(岐阜県岐阜市橋本町)。

───仙台の方の資金で岐阜の駅が出来たということですか。地名として残っているんですね。

佐々木社長

それだけ橋本忠次郎が貢献したということでしょうね。 株式会社 橋本店 経営理念 1. 時代の変化に適応する人づくり 2. 信頼される堅実なものづくり 3. 地域社会に貢献する会社づくり

現場内だけではなく、地域の住民の方とコミュニケーションをすることが大切です。 単に、橋本がここで工事をやっていった、で終わるのではなく、町内会の行事にも参加してこんな社会貢献をして帰った、 というように、ひとつ地域の人のプラスになることを残して帰る。ただモノをつくるだけでは駄目です。 そのためには経営者だけでなく、現場の所長をはじめ従業員がそういう気持ちにならなければ駄目なのです。

難しい仕事にチャレンジする ― 「空飛ぶくじら」にこめた願い

佐々木社長

地元企業は、地元の地盤の中にいて、余計な仕事に手を出さないという傾向があります。

韓国文化院
韓国文化院

弊社はたまたまご縁があって、新宿で韓国の文化院という非常に厳しい仕事をやらせていただきました。 これは一国の仕事でもあったし、現場の所長にも「これはうちでやる仕事じゃない」という人間もいました。 しかし私は、これを突破しなければ、建設会社をやっている意味がないと思いました。 これくらいの仕事が出来なければ、132年も橋本店をやっていて普通の建築物くらいしか出来ないのならば、 恥ずかしくないのか、と。

金額的に苦しいことはありましたが、2年間勤めて仕上げました。 中間免震構造の、今まで施工したことのないような難しい工事です。それをやりきったことは、自信になります。 社員を全員東京へ連れて行って見学をさせ、「うちの会社もこういう難しい仕事ができるんだ」という自信をつけさせました。

以前はある程度楽に仕事が来たこともありますが、それに甘えていては駄目です。 工事をとる努力、頭を使ったチャレンジをしていかないと。 単なる入札での値段の叩き合いで工事をとったとらないというのは、本来の姿ではないと思います。

現代は、難しい仕事にチャレンジしようという夢がなくなってきています。 実は、それでシンボルマークがくじらなんですよ。くじらは昔、陸を歩いていたんです。

───あの大きいのが陸にいたのですか?

佐々木社長

いえ、普通の犬みたいな恰好をしていました。 ただ、陸には獰猛な動物がいたので、食べられないために自分の姿を変えていって、 海辺に逃げ込んだのです。海辺でエビや魚などを食べて生き延びて、だんだん進化していったんですよ。

橋本店シンボルマークのくじら だから橋本も、この場に甘えていないで、今海で泳いでいるくじらが将来は空を飛ぶような発想を、 そういう気持ちを持ちましょうと思っています。ただ現場に埋もれてモノをつくるのではなく、 もっと広く社会を見て、その中でどう生きていったらいいかをみんなで考えれば、くじらも空を飛びますよ。 空飛ぶくじらには、そういう意味が、願いがこもっているのです。

みんながそういう変化を求めてそういう気持ちになったとき、飛びますよ、橋本は。

好印象を与えることが大切

佐々木社長

くじらのシンボルマークを作ったとき、はじめは橋本店の名前を入れずくじらだけを揚げていました。 小学一年生の子供にも分かってもらえるようなマスコットを作りましょうということでやったのです。 工事現場は危険なイメージがあるかもしれませんが、 子供たちの目線で橋本店を理解してもらえるようなシンボルマークを作ろうと思ったのです。

───それがこれなんですね。

佐々木社長

「空飛ぶくじら」 「橋本店」という名前だけでは、大きい看板に書いてあっても、発注者と建設業界の人にしか分かりません。 でも、これがくじらというのは誰でもわかりますよね。  ですから、くじらを先に揚げて、それが建設会社のシンボルマークだと、後から分かってもらうということでもいいんじゃないかと思っています。くじらはこの頃やっと定着しました。

───字体も丸く、全体的に親しみやすい印象ですね。

佐々木社長

やはり、印象というものは大事です。

現場の監督も、優良工事のとれる人ととれない人とは、印象でかなり違ってきます。 応援団のような挨拶をする必要はありませんが、好印象を与える誠実感のある対応をするべきです。 監督官を、自分の気持ちでちゃんと迎えないといけません。それが高得点につながります。

モノだけを一生懸命つくっていても駄目です。 環境のつくり方はどうかという点を、現場の監督さんは見ているんですよ。 ここまできちんとしているならば間違いない、というように。

時代に合わせて変化する「空飛ぶくじら」

佐々木社長

創業当時は、駅馬車をやったり、本社を東京に移したり、鉄道を引いたりと、かなり多角的なことをしていました。 地元の企業の中に埋もれて叩き合いをして、みんながやれることをしたって仕方がないだろうということでしょう。 異業種と組んで色々なことをやっていかなければ駄目です。 橋本に無いものを組み合わせて提案したり…負けることもありますが、それをみんなで考えて、 面倒くさいと思うものでもチャレンジしていく。 「地元企業だからできません」というような、地元の殻を脱ぎきらないと駄目ですね。

───地方の古い建設業ということで、どちらかというと国に支えられているというイメージもありますが。

佐々木社長

予算をもらって公共事業して、俺たちが工事に来るのが当たり前なんだよ、 とそんな態度をとっていては、一般社会からのイメージが悪くなってしまいます。 建設業のイメージを変えるには、本当は、もっと建設業以外の業界の人との付き合いを大事にしていくべきだと思います。

───今までの会社の流れと変えていることはありますか。

佐々木社長

今までの歴代社長は、仕事の量がある程度恵まれていました。 なぜ私が社長になったかと言うと、この厳しい時代に、仕事をとるための社長なんですね。 私は技術者ではなく営業の出身です。歴代社長でも、橋本というのは2代までです。 それぞれの場面で、周りの環境に合わせて変化してきているんです。まさに空飛ぶくじらなんですよ。 私は一番厳しいときなので、これが安定すれば、技術の人が社長になるのでしょう。 時代の変化です。仕事がいっぱいとれる時代に変な仕事を持ってきたりすると、嫌われますし(笑)。 ただ、今のような時代を突破するには、仕事がとれる会社にしていかないと駄目ですね。

次回に続く

(取材・まとめ ワイズ)

株式会社 橋本店

株式会社 橋本店

(はしもとてん)

宮城県仙台市に本社を置く総合建設会社。明治11年創業の東北を代表する老舗大手企業のひとつ。

宮城県仙台市青葉区立町27-21
代表取締役社長 佐々木宏明

取材後記

2社目となる今回は、代表者が宮城県建設業協会の会長を務められている、 株式会社橋本店へのインタビューを行わせて頂きました。 創業者である橋本忠次郎氏から始まった同社の歴史が記念誌として残されており、 今回全てを載せきれないのが残念なくらいエピソードも満載で読み応えがあります。

次回は佐々木社長に佐藤茂夫常務も交えてのインタビューになります。どうぞお楽しみに。